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AS ALWAYS



私が幼少の頃に住んでいた静岡の家には、強風によって倒れて根が剥き出しになっても枯れずにいた大きな楠の木がありました。剥き出しになったその楠の根は、幼かった私には切り立った崖のように見え、実家は海のそばであったため、たくさんの蟹たちがそこに巣穴を作り群れていたことを今でも覚えています。

普通、地面の下にある木の根の状態やその存在を把握することなどはできないように、私たちが日常の中で見る事ができるものは、非常に限られているように思います。それは生きていく上で、誰もが自身の過去の出来事や生い立ちなど、全てを語ることなどできない感覚と似ていて、多様性が語られる今日の中でも、その水面下には木の根のように複雑に入り組んで可視化されていないことが、まだまだたくさんあるように思います。

この楠の木は、倒れた無様な格好を晒しながらも、それでもなお毅然と生き抜いてました。剥き出しとなった根は、むしろ蟹たちの格好の隠れ家となり、新たな役割を担っていました。

当たり前に佇むことすら叶わない「当たり前」があることを私は知っています。耐え難い苦しみや、抜け出しようのない不幸を、受け入れることは簡単ではありません。ただそれでも、何かしらの意味と始まりがあること。全ての物事は、その捉え方によって変化することができる相対的なものであることを、私は幼い日に見たこの光景から学びました。

今日の美術も、デュシャンが男性用の小便器を横転させたことによって産声をあげたように、今まで見えていなかったものが見える瞬間はいつも、その根本が覆るときなのかもしれません。様々な葛藤と向き合い、色彩や筆致の絵画として、今日の制限や枠組みを越えるような表現の可能性を模索しています。 倒れることもまた、「いつもの」始まりであることを、私は知っています。


2024年8月 門田光雅



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