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To the Moon


FLYMEe (2025年11月・東京)








 
























To the Moon


当たり前ではないことをすることは至難の技で、例えば、大空を自由に羽ばたくことや、エベレストの山頂や深海の最深部に辿り着くこと、あるいは月面に降り立つことなども、とても困難なことだ。

ただ私たちは、このような不可能とされてきたことの多くを実現してきている。「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」という有名な言葉があるように、私たちは過去の経験や知識を組み合わせて、目には見えないものを把握したり、遥か遠い未来を予測したりすることができる。その力はいつの日か、次元を超越した領域に至るようなことも起こり得るのかもしれない。1969年に、ニール・アームストロングがアポロ11号に乗って月面に歩みを残したことなどは、人の夢は、決して届かないとされる場所にも届き得るという証明をした代表的な例の一つだ。

物質的な話だけではなく、芸術や哲学といった形のない内面や感性を探る分野においても、私たちの可能性と感覚の拡張は続いている。一般的には否定されていたものや、容易には理解が及ばないこと、あるいは今日において罪や非難の対象になるものですら、視点を変えて相対的に捉えることで、全く異なる意味や新しい解釈を切り開くことがある。現代美術においても、ただの果物や日用品、ラクガキにすら常軌を逸した値段や評価がつき、度々世間を騒がせるニュースにもなっている。その基準は、何処か偏った一面があるのかもしれないが、同時に、当然のように成り立つ今日のメカニズムやインフラ、そして正義といったものが「必ずしも正しいとは限らない」といった既存の価値の意味を、芸術家はどの時代においても問いかけ、時には覆していく。

もちろん私たちの社会において、ルールに従うことや足並みを揃えることはとても大切なことで、共同体のような繋がりや助け合いによって、個人では成し遂げられない成果を生み出すこともできる。今日にもまだ異端なことへの不寛容や、多くの古い固定観念があることは否めないが、そんな摩擦や確執も、やがて限りなく小さくなっていって後世のための糧となることを静かに願いたい。

最近、夜空にぽっかりと浮かぶ月を見るとき、(あそこには随分と踏み外したことのある人の足跡がついているのだな)と思えることが多い。地上では今日の各所で争いが絶えることがないが、私たちの様々な関係性を月ほどの距離に置くことができれば、無益な衝突や消耗も終わらせることができるのだろうか。関わらないことや、逸脱することも時には大切で、当たり前とされる道筋を外れた場所に今まで見えなかった着地点を見つけることがあるような気もする。

もちろん出口や異なる答えを見つけ出すことは容易ではない。ただ、月に辿り着けるほどの飛躍や跳躍が可能な私たちなら、あらゆる困難や枠組みをも越えて、新しい歩みを生み出すことも、きっとできるはずだ。


2025年10月 門田光雅






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