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AS ALWAYS
TEZUKAYAMA GALLERY (2024年11月・大阪)
︎ 360-degree camera 1
︎ 360-degree camera 2
私が幼少の頃に住んでいた静岡の家には、強風によって倒れて根が剥き出しになっても枯れずにいた大きな楠の木がありました。剥き出しになったその楠の根は、幼かった私には切り立った崖のように見え、実家は海のそばであったため、たくさんの蟹たちがそこに巣穴を作り群れていたことを今でも覚えています。
普通、地面の下にある木の根の状態やその存在を把握することなどはできないように、私たちが日常の中で見る事ができるものは、非常に限られているように思います。それは生きていく上で、誰もが自身の過去の出来事や生い立ちなど、全てを語ることなどできない感覚と似ていて、多様性が語られる今日の中でも、その水面下には木の根のように複雑に入り組んで可視化されていないことが、まだまだたくさんあるように思います。
この楠の木は、倒れた無様な格好を晒しながらも、それでもなお毅然と生き抜いてました。剥き出しとなった根は、むしろ蟹たちの格好の隠れ家となり、新たな役割を担っていました。
当たり前に佇むことすら叶わない「当たり前」があることを私は知っています。耐え難い苦しみや、抜け出しようのない不幸を、受け入れることは簡単ではありません。ただそれでも、何かしらの意味と始まりがあること。全ての物事は、その捉え方によって変化することができる相対的なものであることを、私は幼い日に見たこの光景から学びました。
今日の美術も、デュシャンが男性用の小便器を横転させたことによって産声をあげたように、今まで見えていなかったものが見える瞬間はいつも、その根本が覆るときなのかもしれません。様々な葛藤と向き合い、色彩や筆致の絵画として、今日の制限や枠組みを越えるような表現の可能性を模索しています。 倒れることもまた、「いつもの」始まりであることを、私は知っています。
2024年8月 門田光雅
普通、地面の下にある木の根の状態やその存在を把握することなどはできないように、私たちが日常の中で見る事ができるものは、非常に限られているように思います。それは生きていく上で、誰もが自身の過去の出来事や生い立ちなど、全てを語ることなどできない感覚と似ていて、多様性が語られる今日の中でも、その水面下には木の根のように複雑に入り組んで可視化されていないことが、まだまだたくさんあるように思います。
この楠の木は、倒れた無様な格好を晒しながらも、それでもなお毅然と生き抜いてました。剥き出しとなった根は、むしろ蟹たちの格好の隠れ家となり、新たな役割を担っていました。
当たり前に佇むことすら叶わない「当たり前」があることを私は知っています。耐え難い苦しみや、抜け出しようのない不幸を、受け入れることは簡単ではありません。ただそれでも、何かしらの意味と始まりがあること。全ての物事は、その捉え方によって変化することができる相対的なものであることを、私は幼い日に見たこの光景から学びました。
今日の美術も、デュシャンが男性用の小便器を横転させたことによって産声をあげたように、今まで見えていなかったものが見える瞬間はいつも、その根本が覆るときなのかもしれません。様々な葛藤と向き合い、色彩や筆致の絵画として、今日の制限や枠組みを越えるような表現の可能性を模索しています。 倒れることもまた、「いつもの」始まりであることを、私は知っています。
2024年8月 門田光雅
always
2019 Acrylic and Carborundum on cotton
2273×1820mm
2019 Acrylic and Carborundum on cotton
2273×1820mm
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whirlwind 2 2023 Acrylic and Carborundum on Cotton 608×606mm |
onomatopoeia 2024 Acrylic on Cotton with frame 353×350mm (frame / 615×584mm) |
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鉾楯 2(HOKO/TATE 2) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 4(HOKO/TATE 4) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 6(HOKO/TATE 6) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 8(HOKO/TATE 8) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 10(HOKO/TATE 10) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 12(HOKO/TATE 12) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 14(HOKO/TATE 14) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 16(HOKO/TATE 16) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 18(HOKO/TATE 18) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 20(HOKO/TATE 20) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 22(HOKO/TATE 22) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 24(HOKO/TATE 24) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 26(HOKO/TATE 26) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 28(HOKO/TATE 28) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 30(HOKO 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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鉾楯 32(HOKO/TATE 32) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm Private Collection |
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鉾楯 34(HOKO/TATE 34) 2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 115×100mm |
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人並み (HITONAMI)
2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 173×173mm
Private Collection
2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 173×173mm
Private Collection
富士山麓 (FUJISANROKU)
2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 223×223mm
2024 Acrylic and Carborundum on Cotton 223×223mm
the former
2024 Acrylic and Carborundum on Cotton
1306×803mm
2024 Acrylic and Carborundum on Cotton
1306×803mm
the latter
2024 Acrylic and Carborundum on Cotton
1306×803mm
2024 Acrylic and Carborundum on Cotton
1306×803mm
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11 colors 2015 Acrylic and Carborundum on cotton 1940×1620mm |
松喰 (MATSUHAMI) 2009 Acrylic and Carborundum on cotton 1620×1303 mm |
Utopia 2007 Acrylic on cotton 339×244 mm |
「根」と「デュシャン」
松葉 邦彦 (アートコレクター / 建築家)
寄稿の依頼があった数日後に別件で門田さんのアトリエを訪れたところ「AS ALWAYS」展に際して書いたというステートメントを出力して用意してくれていた。せっかくなのでその場で目を通したところ「根」と「デュシャン」について書かれていた。そしてこの2つが門田さんとの関係を語る上で重要なキーワードなのかもしれないと気づいたので、僕の視点から「根」と「デュシャン」ついて書いてみようと思う。
まず「根」についてだが、実はまさに「根」というタイトルが付けられた作品をコレクションしている。2010年に描かれた1m角程度の作品で、その名の通り根をモチーフとした作品であり、それはかつて門田さんが住んでいた家にあったものだという説明を受けたと記憶している。一目見た時から何か魅かれる作品だった。
「根」を描いた時期というのは門田さんが画家としてもがき苦しんでいた頃のようで、濃紺で描かれた刺々しく暗い根を見ていると当時抱えていた苦悩や苛立ちをダイレクトに感じ取ることができる。ただ一方で、背景の一部に塗られたピンクの明るさからは、その後手にすることになる飛躍や幸せを予見しているようにも感じられる。そして、その作品にかつて何者にもなれていないことに対して日々苛立ち、その環境から抜け出すために試行錯誤しながら過ごしていたかつての自分を重ね共感していた。だから強く魅かれ購入したのではないかと思っている。
門田さんとの出会いは今から8年前の2016年に遡る。当時表参道にあったSEZON ART GALLERYで開催されていた「STROKES」展を訪れ「line works 3」という作品を購入したのがきっかけだった。ギャラリーの壁面に飾られた多彩で力強い作品を目にした瞬間に購入を即決したことを今でもよく覚えている。ギャラリーでのアート作品の購入は初めてだったのだが、運命的な出会いによる衝撃と作品を買う際に得られる心地の良い高揚感を同時に味わった。その感覚が忘れられなくなってしまい、今日に至るまでアートコレクションを続けているのだと思う。
その後、門田さんとはアトリエの訪問や作品購入を定期的に行うなどアーティストとコレクターとしての友好関係を築くだけでなく、時には週に2〜3回と尋常ではない頻度で飲みに行くなど一人の友人としても親交を深めていくことになるのだが、2022年の春先に門田さんからアトリエ兼自宅の駐車スペースにカーポートを増築したいという相談を受けた。嬉しい話であり当然快諾し設計を進めて行ったのだが、増築が故に敷地境界と既存建物の間をトレースするような不整形な屋根を持つ建築になってしまった。
その屋根の形状自体はとても気に入っていたのだが、一つ大きな問題が発生した。一般的な建物であれば90°で梁が直交するのだが、不整形な屋根を保持するために各々1〜2°程度ズレて接合させる必要が出てきたのである。この僅かなズレは人の感覚では知覚するのが難しいレベルな上に、使用する部材が規格から外れるためコスト高になる。普通なら90°に補正して金額を下げて欲しいと言われてしまう内容だ。
ただ、アーティストの門田さんは違った。この僅かなズレを
「一見気付かないような、ほんの数度の角度のズレにも、むしろ手間や摩擦、見えないエネルギーが必要となる。これは人間や社会に置き換えても同じことが言えるのではないだろうか。大きな声にできないものや、説明が難しいものは、そのたった1度か2度の分かりにくい角度のズレに苛まれているのかもしれなくて、逆にほぼ、そのズレや違いがわからない分、苦しみが大きいのではないか。
私たちにはまだシェアできていない感覚がたくさんあって、そのことが今日の不寛容や、誹謗中傷などの大きな原因となっていると私は考えていて、そのような今日にまだ難解だったジレンマの可視化を、まさか経済の中に発見するとは思いも寄らなかった。」
(門田光雅「Two Angles」より引用)
と論じ、カーポートに建築とは異なる別の価値を見出したのである。
そのアーティスト然とした光景を目の当たりにした時に、この僅かなズレこそ「デュシャン」が「泉」において男性用便器に書き込んだ「R. Mutt 1917」のサインと同様に、対象となる物の文脈を全く違うものに転換することで新たな価値を提示しているのではないかと気づいた。まさに現代アートの真骨頂を見たのである。そして、その感銘を忘れないためにこのカーポートに「デュシャン」が用いた概念「Readymade」を引用しタイトルとして付けた。
元々、僕の中では「根」と「デュシャン」、すなわちカーポートは繋がっておらず別々の物だったのだが、今回門田さんが書いたステートメントによって2つが関連付けられた。それが今後どんな意味を持ち、どう広がっていくのかが楽しみでならない。ただ1点、門田さんが何故2つのキーワードをステートメントに用いたのか?が気になって仕方がない。そして、それを読んだ僕に何かを書かせたかったのか?それとも単なる僕の勘違いで長文を書いてしまったのか?
まあ、それは「AS ALWAYS」展を訪れればわかるかもしれないので、その時まで答え合わせはしないでおこうと思う。